『光陰矢の如し』を体感しながら、25日は幸子宅でお泊り。
26日は、二人で、お昼にお蕎麦を食べながら、日々を振り返る。
そして、これから私達が、どうなっていくのか・・・・・。
ここまで、やったら、あとは自然と流れが押し寄せてくるような・・・・・。
ゆっくりとした時間を二人で過ごして、幸子と別れました。
今日のタイムスリップ先は、2008年5月23日。
この日の第1回目の公演をみていて、溢れ出た感情を、記録に残しておこうと思います。
今回の、舞台の流れの一部に、えんじ者の川久保州子さんの、お祖母ちゃんやお母さんの話が出てきました。
州子さんは、お祖母ちゃんのようになりたい。
だけど、お祖母ちゃんが偉大すぎて、近づくことが出来ない。
ずっと、お祖母ちゃんが目標だけど、少しでも、お祖母ちゃんに近づくには、どうしたら良いのだろう。
州子さんの出した、答えは・・・・・。
舞台を、見てくださった方は、もうお分かりですね。
実は、私も、お祖母ちゃんのようになりたくて、どうしたら良いのか試行錯誤中。
私のお祖母ちゃんは、3人。
一人は、父方のお祖母ちゃん。
以前のブログにも書きましたが、霊視能力のある神主でした。
私が、小学校2年生の時に、亡くなりました。
唯一、生きている間に会えたお祖母ちゃんです。
二人目は、母方のお祖母ちゃん。
私が、産まれるちょうど、一年前の4月に亡くなりました。
事情があって、母には父親がいません。
三人目の、お祖母ちゃんの助けもあって、母が育てられました。
三人目のお祖母ちゃんの一周忌を終えて、その日の晩に、突然の他界だったそうです。
三人目のお祖母ちゃんは、血縁関係はありませんが、私から言うと、曾祖母ちゃんにあたります。
曾祖父ちゃんは、この曾祖母ちゃんとは、再婚でした。
曾祖父ちゃんは、青森出身です。
どこで、曾祖母ちゃんに出会ったかは知りません。
でも、曾祖母ちゃんはとても魅力的な人だったのだと思います。
青森を飛び出し、広島まで来て、それからずっと、死ぬまで広島で生活したそうです。
二人の間には、子供が出来ないでいました。
青森から二人目のお祖母ちゃんを、引取り、二人で育てたそうです。
曾祖父ちゃんの最後は、故郷の青森を思いながら、りんごを食べながら、すっと亡くなられたそうです。
曾祖父ちゃん先に亡くなり、曾祖母ちゃんは、血の繋がらない、御祖母ちゃんや母を、大切に大切に育ててくれたそうです。
父や母から、時々、御祖母ちゃん達の話を聞くと、会いたくなります。
二人とも、御祖母ちゃん達を、悪く言うことはありません。
いつも、感謝の気持ちからか、懐かしそうに話してくれます。
そんな、お祖母ちゃん達の話を聞く度に、同じ女性として産まれてきて、良かったと思うのです。
時代も、文化も変わってきてしまった、この世の中で、同じように生きたくても生きられないことが現実です。
だけど、少しでも近づくには、どうしたら良いのだろう。
州子さんの演技を見ながら、私も考えていました。
そして、州子さんのお母さんは、お母さんをどう思っていたのだろうと、頭をよぎった瞬間に、わっと溢れ出てきた涙・・・・・。
後から、知りました。
そこには、州子さんのお母様が、その公演をご覧になっていたそうです。
今回は、そんな、公演を思い出しながら、エールしたいと思います。
皆様、お父様やお母様から、お祖母様のお話を、聞いてみてはいかがでしょうか?
それは、ちょうど、私達が親について、語るのと同じ気がします。
自分の、両親が、親とどう関わって生きてきたのか知ることで、なぜ、父や母が、このように自分を育てることになったのか、自分の生き方や、親としての考え方が分かってくるかもしれませんね。
そこに、自分が思い悩んでいたことを解決する糸口があったり、ふっと、幸せを感じる瞬間があったりするのかもしれませんね。
そして、自分が親になったとき、子供にお祖母ちゃんについて、聞かれたとき、自分はどんな風に答えるんだろうなあと、考えたりして・・・・・。
『和』から『WA』に変化する深い内容が盛りだくさんの、今回の公演。
あとから、あとから、ジワーと沸いてくる何かに、まだ浸っている私でした。
まだまだ、感想あるので、時間のあるときに、タイムスリップしよっと。
それでは、これから、お出かけです。
行って来ます
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