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幸せを生きやすいように進化していくガラパゴススタイル。その過程で感じたこと見付けたことなど、シェアしていこうと思います!

絶妙なタイミングだ、ワーイヽ(^o^)丿

転機の中にいる私。良いタイミングで、決断したことが、また相乗効果でよくなる。

私達、結婚します\(゜ロ\)(/ロ゜)/を見て、電話をくれた友達から、面白い情報ゲット。

でも彼女は、ただ、ドレスの画像を見ただけで、その内容を読む時間はなかったようです。

そして、ドレスの感想を聞かせてくれました。
その後の話が、最高に良かった。

何で忙しいのか聞いたら、着物の生地を使って、小物や洋服を作る展示会に参加することになって、それの作成に追われて忙しいとのことです。
一緒にしないかとお誘いがあるのかと思ったら、私が、着物の生地で、ドレスを作ろうとしている所の内容は読んでいなかったようで、つかさず、私も、参加させてと言ってしましました。

ヤッター。シンクロしたぞ~。運命の女神が私に見方をしているのだ。

私も、参加することになった展示会は、ゴールデンウィーク。
なんだか、忙しいプー太郎生活が始まりそうです。

それが終わったら、東京に行きます。友人の舞台のお手伝い。
その後は、うまくいけば、フードコーディネーターの勉強。
合間に、オリンピック観戦。そして、それが終わったらバリ島、とりあえず3ヶ月。
予定は未定であるけども、2年計画で、考え中。
その間に、良いタイミングで良い縁見付けられたら、結婚?(←これ一番未定)
これも諦めてないからね。

何足のわらじを履くつもりなのでしょうか?
でも、何事も無駄ではないのです。
繋がっていくのです。
一応、私は空間をデザインする建築家?
いろんな空間がありますからね。何でも知っていって損はない。
学ぶことによって、得なことばかりです。
専門性には欠けますが・・・・・。

前の職場の人に言われたことがあります。
「建築家はやさしくないといけんよ。」

本当にその通りだと思いました。
そこで、生活していく人の身になって、設計する。
一つ一つを決めていく。

工事に入ったら、細部まで、生活する人の身になって、細かくチェック。
施工業者にとっては、沢山ある物件の一つかもしれないけど、お客様にとっては、たった一つの物件なのです。
そんなこと思いながら、監督すると、
「手抜くな~。誰のお金で仕事しとるか。プロじゃろが。」
と、私はいつも超恐い監督官に変身しているのでした。

職人気質のおっさん達を相手に仕事していたら、この私が出来上がったのもご理解頂けますでしょうか?

そう、そして、この職業病が、私が中国で生活していた家を追い出される切っ掛けになってしまったのです。

入居した部屋は、築何年だったのか?
あちこちが痛んでいたのです。
そして、水洗トイレの水漏れ、玄関の電気の球切れ。玄関の鍵の交換。
全て直してくれることが条件だったはず?????
だけど、甘くはなかった。

しかも、中国に行く前にしていた仕事は、マンションの内覧会前の、施主検査の立会い。
綺麗な部屋しかみていなかった私。
しかも、少しの傷も、ひずみも、軋みも、すべて綺麗に仕上げて当たり前の世界だった。

職業病が抜けきれてなかった私は、完璧に直ってないものに、全て不満として大家さんにぶつけていたのです。
そして、そんな私に、嫌気がさした大家さんは、こちらが修理依頼したトイレの修理代金まで請求して、前納した家賃半年分を受取っているにもかかわらず、
「次に借りる人が見つかったから、出ていってくれ。」
と、言ってきたのです。

中国の文化を知らず、自分の職業病を正しいと押し付けすぎた結果でした。
はあ、そんな私だったのに、同士は、次の家を探すときも、引続き私と一緒に住むことを選んでくれたのです。
彼女がいなかったら、あの中国で私はどうなっていたのか、想像しただけでも恐ろしいです。

追い出されることが決まった私達。
その部屋を決めるまでに、いろんな人に迷惑をかけていました。

でも、新しい所に決める時も、引越しの時も、また、みんなに迷惑をかけるのは申し訳ないから、今度は自分たちで不動産業者や、引越し業者を探していこうと、話し会って決めました。

せっかく、良い気分で眠れそうだったのに、あんまり思い出したくないこと思い出してしまいました。
この話の続きは、4月に入ってから、昼間にゆっくり書こうと思います。




そんなこんなで、本日のエールは・・・・・。

最初のスタートが悪くて、今もそれを引きづっている方いらっしゃいますか?
私も、中国へ出発の日は、自分の不注意ではありますが最悪でした。

詳しくは、「我が同士、中国での同居生活!第2話」を、お読み下さい。

おそらく、それが、何か大変なことが始まる、何かのメッセージだったのかもしれませんね。

万が一、それを感じてしまった場合、どこかで、必ずリセットしてください。
断ち切らないと、続きますよ、悪いことばかりが・・・・・。

でも、それを断ち切って、なぜそんなことが起きたのか、冷静に思い返せる時がきたら、きっと気がつけると思います。
自分に、余裕がなかったのかなあなんて・・・・・。
自分が、ハリネズミみたいだったなあとか・・・・・。
自分が、自分に・・・・・・って、全ては自分自身に原因があってことに気が付くかなあ?

その原因の根元に、気がつけたら、おめでとう、成長したねって自分を誉めてあげて下さいね。
そして、そこで学んだことは、そんな事件があったから、学べたと、その学んだものに、感謝して下さいね。
そして、同じ目にあいそうな人を見つけてしまったら、あなたはどうしますか?
私は、まだどうするか決めていません。
だけど、言ってあげないほうが良いのかなあ?
自分で気が付かないと真の意味で理解できない気がするしなあ?
迷うところですが、それは人によって違うので、その時の状況判断で決めていこうと思います。

明日もお杉は大量散布されてるのかあ?

ワクワク、予定が詰まったプー太郎生活。
早く始まらないかなあ。

でも、まずは、目の前にある仕事を終わらさなければ・・・・・。
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新年好!

今日は、2月7日は、旧暦で祝う中国では、お正月。
「春節」と言います。

私が、初めて中国の春節を体験したのは、オーストラリアから7月に帰国して、翌年の2004年1月22日。

オーストラリアでホストメイトだった友達が大連出身で、春節とは知らずに、会いに行きました。
そして、私にとってはラッキーなことに、春節を体験することが出来たのです。
でも、友達や友達の家族はそんな時でも、中国流のもてなしで、私をもてなして下さいました。とても、貴重な体験をさせてもらいました。




その時の日記

2004年1月21日

今日は、朝、ヤンヤンがホテルに迎えにきてくれました。それから、タクシーでヤンヤンの家に行きました。すごい雪。良いことあれば良いなあ?
昼食して、DVD見て晩餐。
どの料理も美味しかったよ~。幸せ~。
夜景も最高。花火も最高。
・・・・・略・・・・・
終わり

中国では、必ず餃子を食べます。この日も、彼女の御婆ちゃんが作ってくれた水餃子をご馳走してくれました。
私は、中国のもてなし方を知りませんでした。
沢山あるから、残さず食べなければ・・・・。
一生懸命食べるのですが、どんどん、追加料理が出てきます。
もう食べれない。死にそうになって、私には屈辱で食べ物を残していまいました。

知らなかったんです。
本当に、失礼なことをしていまいました。
中国では、残すのが礼儀です。
もてなしが、足りなかったと、私は言っているような行為をしていたのです。
あとから知って、とてもショックを受けました。
本当に、お父さん、お母さん、すいませんでした。

でも、360°打ち上げられる花火。日本でみる花火大会は比ではなかったです。
どこからでも、花火が打ちあがって、とても綺麗でした。
そして、街のイルミネーションもとても華やか。
そして、この春節をもう一度味わいたくて・・・

一年後・・・




二度目の春節
もう一度味わえると思いませんでした。

2005年2月8日(春節イブ)
今日は、朝職場に行って、それから買い物して、餃子パーティーに行った。
ジュリア(新しい大家さん)にパスポートのコピーを渡して、それから
・・・略・・・
手続きは完全に終わっていなかたみたいだ。ちょっとショックだった。
餃子パーティーに行って良かった。セロリ入りの餃子は予想以上に美味しかった。
終わり

前の大家さんともめて、新しい家に既に引越ししていました。
なぜ、引っ越すことに、なったのかは、後先しますが、また書きます。

この日は、同期が集まって、一緒に餃子を作りました。
同期には中国人の人がいて、皮から作り方を教えてもらいながら作りました。
いろんな具を入れて、作りました。
私は、セロリが嫌いです。
だけど、その日に作った餃子のなかで、セロリ入のが一番美味しかったです。

この日の花火も、とても綺麗でした。
今年も見れると思わなかったです。
本当に嬉しくて、喜びを噛み締めていたと思います。

2005年2月9日(春節)

・・・・・略・・・・・
でも、今日はジュリアから餃子をもらった。本当にありがとう。そして、会社帰りに買い物。
そして、ここで、初めて料理をした。大根の煮物。
同士は美味しいと言って食べてくれた。
いろいろとあるけど、一人じゃなくて良かった。
終わり

新しく大家さんとなったジュリア。彼女は私より一つ年上の綺麗なカッコイイお姉さんでした。
そして、同じ会社に勤めていたので、そこで、わざわざ私たちに、餃子を作って持ってきてくれたのです。
ジュリアは、中国人ですよ。私は中国語が話せない。ジュリアは日本語が話せない。お互い英語でコンタクトをとっていたので、彼女の英語名で呼んでいたのです。
彼女は、外国人の私たちに、中国の行事ごとに、いろんな事を教えてくれました。
春節は餃子でしたが、他の日にも、私が、餃子が好きなことを知ってか、よく持ってきてくれました。本当に、頼もしい大家さんでした。
同士の方は、英語より中国語が話せたので、ジュリアと同士は、中国語で会話。
この家では、三ヶ国語が飛び交っていました。
面白い、生活だったと思います。





餃子、餃子、餃子の春節。
また、沢山食べるには、自分で作るしかない。

テレビで出る餃子は、毒入りばかり。
本当に、どうなっているのでしょうか?

私の餃子のイメージは良いことばかりなのに・・・・・。
誰が、何の目的でやったのでしょうか?

天洋か日本にうらみがあったとしか思えません。
でも、そんな仕打ちして、何か得るものがあったのでしょうか?

テレビで報道される内容は、意図的に行われたとしか言いようがありません。
その悪を働いた人に、何があったかは想像できませんが、私たちも、何か考えなくてはならないと言うことでしょう。

残念な「毒入り餃子事件」ですが、その被害にあわれたかた、妊娠中にその餃子を口にしてしまった方には、今日の私のブログは不快のなにものでもないでしょうね。
本当にごめんなさい。

だけど、私にとっては、餃子で中国人の愛を沢山受取ったものなのです。

毒が入っていたのが、たまたま餃子だった。
餃子の汚名が早く晴らされる日がくることを、祈りたいと思います。




今日のエールは・・・・・

今回の事件で、餃子恐怖症になっておられる方、
冷凍食品に頼らず、時間のある時に、餃子をつくりませんか?
沢山、作って、それを冷凍しましょう。
自分で作っていれば、安心できますよね。
しかも、いろんな具をいれることが出来て、楽しいですよ。
あと、皮も手作りしてみて下さい。
もちもち感が全く違って、水餃子にしたら、肉汁が袋の中に溜まって、口の中に入れたら、ジュウシイで、小籠包みたいで、なんとも言えない美味しさになりますよ。
是非、時間を作って挑戦してみて下さいね。

帰国してから、作ってないから、挑戦してみようかなあ。
誰か、一緒にしないかなあ?
この指、止まれ

我が同士、中国での同居生活!第3話

なんと、悲しい事件でしょう。

中国産の冷凍餃子を食べて下痢や嘔吐。
原因は野菜に含まれていた農薬。
また、中国が非難されるのが嫌な私は、気分が滅入ります。
こんな報道があれば、また中国非難が熱化されるでしょう
私は、中国で、大変な思いは沢山しましたが、中国は好きです。
私が中国で出会った人達は、そんな批判される人達と一緒にしないで欲しいのです。

仕方ないと言うのは違うとは思いますが、日本もここまで発展してきた過程で、かつて通過した道を、中国も発展の過程で通っているのです。
日本もかつてそうだったことを、忘れてはいけないと私は思うのです。
日本でも、昨年は食の「偽」が沢山あったではないですか。
悪いことは日本でも沢山あって、どこの国であろうが悪いことは悪いこと同じでしょう。
それは、批判すのは簡単です。
なぜそうなってしまったのか?
どう改善していくかに目を向けて行くしかないでしょう。

私も、中国では、冷凍ぎょうざに助けられた食生活でした。
中国のスーパーでいろんな種類が売られている水餃子。
いつも、何種類か買って、今日はこんな気分で、種類を選び、家でゆでて食べる。
懐かしいなあ。また、沢山食べたいと思っていたのに・・・・・。

日本では、焼き餃子の方が、主流ですよね。
だけど、中国では水餃子の残りを、焼き餃子にして食べていました。

水餃子から出てくる、餃子の肉汁。
熱いけど、それをもらさず食べるのが、ポイントでした。
餃子については、気持ちを切り替えて、この辺で終わり。

今日は、何処から書こうかなあ?
部屋の契約が決まった所からにしよう。




2005年1月8日(土)

今日は、同士の友達のお陰で、無事に部屋の契約が出来て良かった。
・・・略・・・
契約が終わった後、私の中国人の友達と、スーパーで待ち合わせ。
友達のお母さんも一緒に買い物を手伝ってくれた。
・・・略・・・
終わり




まあ、中国語が全く出来ない私は、部屋探しから契約から、買い物まで、全て人任せ。
私の中国人の友達に、家探しを手伝ってもらい、同士の中国人の友達に、契約を手伝ってもらい、私達はそれぞれの中国人の友達がいなかったら、最初の家を借りることは出来なかったでしょう。

この日は、やっと契約が決まって、ホッとしていた気がします。

中国の部屋を借りるのに、私達は、 日本人向けの不動産屋を利用せず、中国人が利用する不動産屋を通して、部屋を探しました。
それが、その部屋の契約も困難にさせた一因でしょう。

まず、日本人が部屋をかりて中国に住むには、公安に届出が必要で、その他にも、諸手続きが必要であることは、中国人の大家さんは知らなかったのです。
勝手に外国人に部屋を貸して住ませることは、大家さんは出来ないわけで、とても面倒臭がっていたのも記憶にあります。

日本でも家賃収入は税金取られますが、中国でも取られるみたいですよ。
難しい話になりそうなので、この辺で、辞めておきます。

手続き上、いろんなことがあったのですが、同士と私は、この契約の一週間後の1月15日から、二人の共同生活がスタートすることになりました。




2005年1月15日(土)

本日引越し完了。
同士は荷物の移動に部屋掃除も終わったみたいだ。
私はとりあえず寝る場所を何とか整えただけ、今日はそれで精一杯だった。
・・・略・・・
終わり




部屋の間取りは2LDK。DKをはさんで、両端にそれぞれの部屋があった。
DKには、とりあえず、見れるだろう古いテレビ。
なにやら、「チー音」とやらが、聞こえるらしい。
私は、耳が悪いから分からない。

そして、玄関から入って右に、トイレとシャワー室。
中国でバスタブのある家は、ほとんどない。
私の友人の家をみても、バスタブがあった家は、ほとんどなかった。
勿論、私たちの借りた家にもありませんでした。

寒い大連の冬。
寒い冬は、お風呂でゆっくり温まりたいのが、日本人でしょ。
でも、それは、中国では出来ませんでした。
湯船がとっても恋しかったのを、思い出します。

そして、トイレ。
使ったトイレットペーパーは、流してはいけません。
使ったら、備え付けのゴミ箱へ・・・・・。
そうでないと、中国の排水管は、すぐに詰まってしまいます。
日本のトイレが恋しかったのを、思い出します。

でも、これも中国の文化。
お国違えば事情が違う、生活が違う。
もっと私は勉強しておかなければならなかたのです。

そして、そのトイレの横に、洗濯機を置く予定でいたのですが・・・・・
そのトイレと洗濯機と、私のお国事情知らずの馬鹿さが、事件勃発の引き金になったのです。

おまけに、その水洗トイレ、ボタンを押したら流れるはずなのに、ボタンは押すのに、とても一癖二癖しながら押さないと流れない。
しかも、一度押すと、また手を加えないとそのボタンは戻ってこない。
毎日の日課がこれだと、思いやられる。

はあ、どうするかなあ?
これは、言わなければ・・・・・。

何だか、思い出しただけでも、疲れが出てきました。
今日は、中国の話は、この辺で辞めておこうと思います。




今日のエールは・・・・・。
これから、引越しされるかた、引越ししたばかりの方、そこまでの準備は大変でしたでしょう。
そして、引越ししたは良いが、その荷物を整理するのも大変ですよね。
当分は、近所になにがあって、どんなルールがあるのかも分からない。
新しい場所で、慣れるまでは、大変なのは仕方がありませんね。
でも、その新しい地での生活で、また色んな出会いが待っていると思います。
そして、その出会いが切っ掛けで、また色んな楽しみが見つけられると思いますよ。
無理しないで、ゆっくりと楽しみ見つけていって下さいね。


※昔の日記に「・・・略・・・」が頻繁に使われています。これからも、多分にあると思いますが、悪しからず、ご了承下さい。

我が同士、中国での同居生活!第2話

今日は、いつもより、もがきながら、早く起きました。

そして、作業服ではなくて、私服に着替えて、化粧して出勤。
そしたら、更衣室で・・・・・

女1:お~、着てきたじゃん。遅いけん、また作業服着てくるよって、話しようったんよ。
女2:しかも、スカートですよ。いい感じじゃないですか~。
私1:だって、昨日、最後に、○○ちゃんに、二コって、私服着て来てって言われたの。可愛くってさ~。

私服を来て出勤は、他の人には当たり前の話なんでしょうけど、私にとっては、久々なこと。少し恥ずかしくて、速攻でトイレに入り作業服に着替えました。
やっぱり、私は作業服が一番似合っている気がします。

そんなこんなで、少し変化しようとする私・・・・・。

去年のこの時期に、ここに引っ越してくることを決めました。
そして、2年前、今の会社に勤めることが決まりました。
そして、3年前の今頃、中国で、大家さんと大喧嘩の最中でした。
一年のサイクル的には、変化の時期です。

そして、今日は、ずっと、先延ばしにしておりました、我が同士、中国での同居生活!第1話の続きを、書こうと思います。




その前に、中国への旅立ちの日を思い出してみます。
まさに、この出発の日の出来事が、中国での大変な生活の始まりを物語った気がします。

その日の日記

2005年1月4日

あ~、も~、やっぱりというか、どうしてこんな一日になってしまったんだろう?
もう、これは何だか
「今から大変だぞ」
と、言われているようだった。
弟よ、何から何までごめんね。
本当に助かったよ。
・・・・略・・・・・
終わり




私は、弟に広島空港まで送ってもらう途中、郵便局に行きました。
そこで、中国での生活用品を船便で送り、お金をおろしたのです。

そして、広島空港に到着し、やはり、荷物の重量オーバーで追加料金を膨大に請求されたので、前日寝ないで一生懸命まとめた荷物を空港で、大解放。
そして、軽量化した荷物は、再び空港の郵便局で船便で発送処理。
意地でも大解放したのは、船便の金額は安い。
追加料金は、中国での2ヶ月以上の生活資金にもなっていましたから・・・・。

この間、弟は、姉ちゃん大丈夫かいなあ?と、心配そうな顔

時間もなくなり、わざわざ空港まで送ってくれた弟とも、ゆっくりお茶も出来ないまま、何とか、追加料金なしで、飛行機に乗り込むことが出来ました。

そして、飛行機に乗って、前日ゆっくり眠れなかったので、あっという間に落ちてしまいました。

でも、そんな暢気に寝ている場合では、なかったのです。

中国は、かなり近いので、ゆっくり寝ている時間もなく、目覚めて、入国審査の書類を書かなくてはなりません。

そして、
あ”~
がーん
やってしもうた

キャッシュカードが、財布のなかに無い。
無い、無い、無~い、

何処にも無い、無いのよ~

待て、待て、落ち着けミキ。
あんだけ、荷物整理したから、預けた荷物にあるかもしれん。
あってくれ

飛行機に乗っている間中、生きた心地がしませんでした。
このまま、飛行機はきちんと到着してくれるのだろうか?????
不安だらけの、アホアホな自分に、自己嫌悪

入国審査を無事に済ませて、すぐに荷物の元へ、ダッシュ

ささやかな、期待をもって、荷物を確認!

がーん

なぜ?なぜ?な~ぜ?
何処に、行ったの?
郵便局で使ったはずなのに、何でないのよ?

日本であれば、こんなことは、日常茶飯事ではないけれど、簡単に対応可能だけど・・・。
でも、ここは、来たばかりの中国よ。
どうしたらええんじゃろか~

わぁーんわぁーん、わぁーん。
着いたばかりなのに、既に
帰りたいよ~
半泣きではなくて、大泣きです。

中国の大連空港について、会社の人が出迎えに来てくれていました。
とりあえず、カードがなくなったことを伝えました。
そしたら、すぐに、携帯で会社に電話をしてくれて、事情を説明してくれて、その携帯で、中国から、日本のクレジットカード会社に電話をかけて使用停止の手続きをしようとしましたが、電話をかける場所は、そこだけでは足りませんでした。

ホテルについて、公衆電話を使って、あちこちに中国から国際電話しました。
でも、落し物の連絡はない。どうしよう?
今一度、冷静になって、考えてみて・・・・・。

思い出しました
私は、お金をおろした時、カードを取り忘れたような気がしたのです。
でも、確信がないし、その取り忘れたカードがどうなるのかも分からない。

その郵便局に電話して確認したかったが電話番号が分からない。
そんな時、頼れるのは、その現場にいた弟。すぐに電話しました。

そして、弟に郵便局の電話番号を調べてもらって、連絡してもらいました。

そんな私に、弟のあきれた顔が、目に浮びました。
こんな、世話のかかる姉で、申し訳ない

結局、カードは、その郵便局で、取り忘れと判断され、機械が取り込んでいたようです。
なにはともあれ、カードの行方が分かって、一安心

そんな、不安だらけの中国生活の第一日目。
だけども、こんなの、序の口で、もっと大変なことがいっぱいあったのですが・・・。

今、元気で生活している私がいるのも、中国で出会った方々のお陰なのです。

一日目に出迎えに来てくださった会社の方は、不安な私の気持ちを和らげてくれました。
その節は、入社手続きもまだしないうちから、大変ご迷惑をお掛けしました。
そして、その後は、同じ課で引き続きお世話になりました。

一通り、カード紛失の件は落ち着いて、我が同士に電話。
次の日から、彼女と二人で生活する家探しが始まったのです。

日本では、彼女の影響で乗馬やダイビングを始めました。
いろんなことを、彼女から学ばせてもらっていました。
私は、なんでも可憐にこなしていく彼女に、とても憧れていたのです。
そんな彼女と、一緒に生活が始められる。
不安だらけの始まりでしたが、気持ちはワクワク。

異国の国で、また彼女との生活が出来たこと、私にとっては、かけがえのない時間でした。

中国での家探し。
さてさて、どんな事が、私たちに待っているのでしょうか?

続きは、また書きます。




こんな不安な、変化一日目だった中国。
ある意味、今日も、変化の一日目。
今日は、なんだか嬉し恥ずかしい気持ちでした。

今日のエールは・・・・・

変化したい人。でも、変化が不安な人。変化の最中の人。
変化して不安になったら、私のように、大変な出来事の始まりかもしれません。
でも、その変化に対応して、自分が変わることで、違ったものが見えてきたと思います。

自分が求めて変化、予期しない変化、予測した変化、色々とあると思いますが、自分が変わらないと生きるのが辛くなることも、多々あったと思います。

変わることを恐れないで下さいね。
変わり目は大変だったけど、変わった後は、楽な自分がいる気がします。
これからも、変わらなければならない時が、何度もあるでしょう。
私も、自分に、言い聞かせるつもりで、書いてみました。

今日は、早く書き終えたので、早く寝よう。
そしたら、明日は、もう少し早く起きて、ゆっくり出勤出来るかなあ。

我が同士、中国での同居生活!第1話

昨日、まとめ書き③を書きました。


2007年11月14日(水)

いっすぃからのミッション
「今までで最大の失敗を思い出そう。」

を読んで、我が同士が、嬉しいメールくれました。





Subject: こら~モモタロス

ブログ見たよ、中国生活での失敗ってなんぞや?
ひょっとして私との生活とか回答したら暴れるぞ~、嘘。
おはよ~、こっちはめちゃめちゃ寒いぞ。
中国では仕事に苦労していたもんね~。
財布はすられるわで確かにミキさんにゃ試練だらけだったかも。
ま~、命あって帰って来られたし、お気に入りの人との価値観のズレも見極められたし
(あのままに行かずにいったら人生の大後悔確定。)
結果的に勉強になったのではと。
先生達には二人揃って迷惑かけまくったが・・・。
でも学校近くの韓国料理はまた食べたいね、しばらく行く機会はないけど。
ではまたします、今日も仕事だ。




そう、私には、中国生活での最初の半年間、同居人がいたのです。
そんな彼女は、中国の文化を知らない私を、いつも心配してくれ、助けてくれました。
慣れない仕事を終えて帰ったら、ご飯作ってくれていたり、私の中国生活のオアシスでありました。
本当に心強い同士でした。
彼女は、大学で中国の文化を専攻していたので、中国の文化に詳しかった。
でも、私は、知らなかった。
知らないが故に、彼女には信じられない行動を、私は中国でしてしまったのです。
そんな彼女は、私と生活しながら、いつもハラハラドキドキだったのです。
彼女のメールに私はこう返信しました。




Subject: ランチ終わりました

ブログ見てくれて、ありがとう。
昨日のブログは、中国行く前の自分のした事が、大失敗だった事を、言いたかったんよね~。
本当は、もっと続きが書きたかったけど余裕がなかっのごめんね。
中国生活での失敗があるとすれば、文化を知らないで、最初の大家さんと大ゲンカしたことだね。
あんときは、迷惑かけてゴメンよ~
その時の私、手におえんと思ってたでしょう?
中国での仕事の苦労話は、既に最初あたりでかいたので、財布すられた時の話や、大ゲンカの話は、また書くね~。
ま~、命あって帰って来られのが何より救いです。
お気に入りの人との価値観のズレも見極められたし
(あのままに行かずにいったら人生の大後悔確定。)
これは、その通り。
失敗はしたけど、後悔はしてないです。

そうそう、先生達には二人揃って迷惑かけまくったよね。
私が財布すられた時は、お見舞いにケーキ持ってきてくれたりしたよね。
貴女は、交通事故にもあったよね。
これは、ブログに書いて良いかなあ?

先生達に、お礼を書くつもりで、書きたいなあ~。
学校近くの韓国料理はまた食べたいし、また、先生達に一緒に会いに行こうよ。
行く機会が出来そうだったら、声かけてね。
いつか、行きましょう。

お互い仕事頑張ろうだ。
今日は、勤労感謝の日だしね~。
じゃあ、仕事に戻ります。




それは、それは、大迷惑をかけたのです。
その喧嘩をきっかけに、せっかく見つけた住家を、私達は、追い出されることになったのです・・・。

そんな私と、引き続き一緒に生活することを選んでくれた彼女の心の広さ。
感謝の気持ちをどう表現すれば、良いのでしょうか?

さあ、何故追い出されることになったのか?
追い出されることが決まった私達は、どうなったのでしょうか?

これから、徐々に書いていきます。
今日は第一話として、この辺で、終わります。




これから、海外生活をしようと思っておられる方、その国の文化は勉強していきましょうね。
私のように、人に迷惑かけることになりますよ。

不安もいっぱいあるでしょうけど、必ず助けてくださる方はいますから・・・。
大丈夫です。安心してください。

日本で暮らす外国人を助けた日本人が、沢山いるお陰です。
因果応報!
自分がしたことは、良いことも悪いことも、めぐりめぐって、必ず自分の所に帰ってきますから・・・。

それを、忘れないで日々の生活を行っていれば、大丈夫です。
どこにいても、いろんな障害は、必ずあります。
でも、お互い支えあって、乗り越えていけるのです。
一人では、乗り越えられないんですよ・・・。

諦めないで頑張ってくださいね。

フレーフレー、夢を持ってる海外修行者!


※上記のメール内容は、文章構成上、多少編集しておりますが、内容は同じことですので、あしからず・・・。


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